そんな彼ですが、とても大変な人生を送ってきたそうです。
今回はそんなの風間杜夫さんの人生についてまとめてみました。
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プロフィール
出典元 スカパー
本名 住田 知仁
生年月日 1949年4月26日
出生地 東京都世田谷区三軒茶屋
身長 171 cm
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1957年 –
学歴 早稲田大学第二文学部演劇専修中退
風間杜夫さんは映画会社で営業職をされていた父の影響もで、
幼稚園児の頃から演劇に興味を持ち、
8歳の時、児童劇団の「東童」に入団しました。
そんな中、風間杜夫さんはめきめきと実力をつけ、翌年、
当時できたばかりの東映児童演劇研修所に入所しました。
そして10歳の時にはMBSの「エプロンおばさん」で出演、
テレビドラマデビューをしました。
また同時期に当時、大人気のテレビ冒険活劇番組の
「月光仮面」にも出演し、その時は少年雑誌の表紙を
飾るほど忙しかったようです。
しかし風間杜夫さんとても忙しくなかなか小学校にいくことが
できませんでした。
京都の太秦にある撮影所に日々かよっていました。
そんなこともあり、風間杜夫さんの両親は
京都に引っ越しを本気で考えたようです。
しかし風間杜夫さんは子役の仕事をとても好んでおり
俳優を一生の仕事にしたいと発言されていました。
そんな中、
何度か共演のあった俳優の米倉斉加年さんから子役でブレイクすると
俳優は成功しないというジンクスを心配され、
「俳優を一生の仕事にするなら、子役の仕事をやめた方がいい」
というアドバイスを受けます。
しかし、風間杜夫さんは特に気にせず、
中学校も芸能活動に比較的理解のある
玉川学園を受験しました。が、
13歳の時なぜか
劇団を退団し、米倉さんのアドバイス
に答えました。
ですが、風間杜夫さんは演劇自体をやめたのではなく、
玉川学園の演劇部に入部し、後に落語家や俳優として
大成する四代目江戸屋猫八と共に演劇を行っていました。
風間杜夫さんは高校を卒業したら演劇を本格的に再開しようと
考えましたが、親からは教員や内部進学でもいいからと
大学へ行くように務めました。
が、「俳優小劇場」という劇団の養成所で再び演劇の
勉強をするようになりました。
しかし劇内で派閥抗争が起こり
まともな講義が行われなくなります。
そこで風間杜夫さんは早野に対して
養成所の学費を返金してもらえるように
掛け合い、
その金で「表現劇場」という新しい劇団を設立しました。
ですが、劇団の運営はとても厳しく、
風間杜夫さんは同じ劇団のメンバーの斉木しげるさんと
(教育学部国文学科在学)
早稲田大学をやめることになりました。
娘や息子との関係
そんな風間杜夫さんですが夫婦仲はとても良く、
二人の間には男女一人ずつが生まれています。
長男は出版業界大手、角川出版社で編集部に勤めております。
また長女の住田未歩は上智大学文学部でフランス文学を専攻し、
卒業後は「ニューズワーク」というメディア会社に勤務しました。
その後著書「ドレスデン、運命の日」にて作家デビューを果たし、
ドイツにて映画化されるなどヒットを遂げました。
2013年にはジャニーズ事務所プロデューサーの河原聖と
結婚をしており、二人の娘を出産しています。
現在
出典元 スポーツ報知
その後も風間杜夫さんは芸能界で走り続け、2018年4月には
日生劇場で開催された「リトル・ナイト・ミュージック」
でミュージカル初出演を果たしました。
なお風間杜夫さん自身は恩師のつかこうへいさんから
「若干リズム感がないからでしょうか。とにかく踊れないんです。
顔で踊っていればいい。踊れそうな雰囲気だけで、
そのまま続けると、相当踊れるのではと、思わせるところで
やめておけ。本当に踊るとばれるから」と忠告があったからか
、これまでミュージカルの仕事は全部、丁重に
断っていたようです。
仕事を受けた理由もダンス部分がなく、仲の良かった
大竹しのぶさんと久しぶりに共演があるからとのことでした。
いかがでしたでしょうか、
風間杜夫さんが子役時代もすごく人気を博していたのは少し意外でしたが…
養成所でトラブルがあったのを機にいきなり新しい劇団を作るあたり、
風間杜夫さんの行動力の強さが窺えます。
風間には是非これからも幅広く映画やドラマで活躍してほしいです。